【相棒】甲斐享(カイト君)がなぜそうなったのかを考察

本記事は、season13の最終話で明かされる、甲斐享の正体に関する考察記事になります。

ストーリーは急展開でしたが、最終話で判明した事実や、父である甲斐峯秋の証言を一つずつ整理すると、甲斐享の想いが少しずつ見えてきます。

甲斐享っていつからそうだったの?

甲斐享の正体

甲斐享は、杉下右京の相棒でありながら、その一方で、悪人に重傷を負わせて世間を騒がせる「ダークナイト」としての裏の顔を持っていました。

この記事では、甲斐享がダークナイトとしての活動を始めた時期が、杉下右京に出会った時期より前なのか後なのかを解説します。

甲斐享が特命係に配属されたのは2012年10月頃

甲斐享が特命係に配属されたのは、2012年9~10月頃です。

このことは、甲斐享が特命係に配属されたseason11の初回で、中根警察署の刑事課に配属された時期が2012年9月であることがストーリー中で明らかになっていることや、このことを知人に報告に行った先の香港で杉下右京と出会い、その後まもなく特命係に異動になったこととから推測できます。

ちなみに香港から帰国した杉下右京と甲斐享は、2012年9月10日夜に日本の捜査関係者のマンションで偶然再会しています。したがって、甲斐享が特命係に配属されたのは少なくともこの日より後になります。

「ダークナイト」としての犯行は2013年8月から

ダークナイトによる犯行日は、ストーリー中で詳細に明かされています。

まとめると、以下の5件になります。

発生日被害者職業被害程度
2013年8月26日(月)カトウミノル危険ドラッグを繁華街の店舗に卸していた元暴力団員不明(鼻血が出ている)
2013年12月1日(日)オカダハルヒト闇金業者のボス不明(鼻血が出ている)
2014年5月12日(月)ヤグチリキヤ家出少女に売春をさせていた暴力団員肋骨3本骨折、前歯2本欠損
2014年10月24日(金)モトムラマサヨシ暴力団のフロント企業の社長 不明(鼻血が出ている)
2015年3月4日(水)深山育洋暴走族ホワイトタイガーの元メンバー鼻骨骨折

つまり、カイト君がダークナイトとして活動を始めた時期は、2013年8月26日からであり、特命係に配属された後になります。

相棒のseasonと重ねると、甲斐享が相棒となったseason11では「ダークナイト」としての活動期間は含まれておらず、season12が始まる少し前から活動が始まっていたことになります。

「初犯」は杉下右京に出会う前だった

甲斐享は、杉下右京に出会った後にダークナイトとしての資質に目覚めたわけではありません。

実は上記の5件より前に、カイト君がダークナイトに堕ちるきっかけとなった事件がありました。

その事件とは、カイト君の親友・梶祐一郎の妹を殺害した浜中忠弥(はまなか・ちゅうや)への傷害事件です。

この事件の発生時期について、ストーリー中で詳細は明らかにされていませんが、状況を整理すると右京さんに出会う「前」の犯行であることがわかります。

浜中忠弥への傷害事件の時期

ストーリー中で明らかになっているのは、浜中忠弥は犯行後にすぐに検挙されたものの、脱法ドラッグによる心神喪失の状態で釈放されます。甲斐享がこの男に鉄槌を下したのは、釈放から1か月後とされています。

また、被害者である梶祐一郎の妹が眠る霊安室のシーンですでに、浜中忠弥が釈放されることが梶祐一郎に伝えられていることもわかります。したがって、浜中の釈放時期は景子が亡くなった時期とあまり変わらないことが推察できます。

梶祐一郎は、浜中忠弥が釈放されることを担当刑事から聞いたと甲斐享に話しています。おそらく犯行後、浜中はすぐに逮捕されたのでしょうが、その受け答えなどから起訴前の精神鑑定が行われ、早々に心神喪失と鑑定されて起訴を見送られたという流れであったと考えられます。

梶景子が亡くなった時期は2012年3月頃

梶祐一郎の妹・梶景子が亡くなった時期についてです。

season13の最終話で、甲斐享が梶景子の3回忌に出席しています。

甲斐享はその足で、笛吹悦子の病室に見舞いに行きます。

そして、見舞いに来た杉下右京と3人で「5か月ぶりにダークナイト出現」の掲示板のスレッドを見ています。

このことから、梶景子の3回忌が行われた日は、深山育洋が亡くなった後から偽ダークナイトが現れるまでの、2015年3月6日~3月8日の間であると言えます。

3月8日の夜、ダークナイトの模倣犯・種村によって辻堂議員が殺害されます。この日を境にダークナイトの評判も変わるため、先ほどのスレッドはこれ以前のものになると考えられます。

以上のことから、梶景子が亡くなったのは、2012年3月頃であると推測できます。

浜中襲撃事件は特命係への配属よりも「前」

以上から、浜中が釈放された日は2012年3月頃であり、甲斐享による襲撃事件はその1か月後の2012年4月頃であると推察できます。

このことから、甲斐享がダークナイトに堕ちるきっかけとなった浜中忠弥の襲撃事件は、杉下右京と出会う2012年9月より前であるといえます。

甲斐享の犯行歴のまとめ

上記の「初犯」を含めると、甲斐享の傷害事件は下記の6件になります。

発生日被害者職業被害程度(見た目)
2012年4月頃浜中忠弥不明不明(額や鼻から血が出ている)
2013年8月26日(月)カトウミノル危険ドラッグを繁華街の店舗に卸していた元暴力団員不明(鼻血が出ている)
2013年12月1日(日)オカダハルヒト闇金業者のボス不明(鼻血が出ている)
2014年5月12日(月)ヤグチリキヤ家出少女に売春をさせていた暴力団員肋骨3本骨折、前歯2本欠損
2014年10月24日(金)モトムラマサヨシ暴力団のフロント企業の社長 不明(鼻血が出ている)
2015年3月4日(水)深山育洋暴走族ホワイトタイガーの元メンバー鼻骨骨折

罪状には上記に、種村和真への逃走幇助が加わります。

甲斐享はなぜそうなったのか

それでは、甲斐享の動機を推察します。

成功体験があった

特命係に入る前、法で裁けない浜中忠弥を暴力で制裁することに成功した経験が、最大の転機といえるでしょう。

捜査活動をよく知る自分であれば警察にバレずにやれること、そして何より、被害者の無念を晴らせたこと(親友に喜んでもらえたこと)が、甲斐享の中に成功体験として刻まれたはずです。

同じ手口で犯行を再開していることからも、この事件がなければダークナイトがそもそも誕生することはなかったはずです。

杉下右京によりコンプレックスが刺激された

父・甲斐峯秋は甲斐享の犯行動機について、絶対に敵わない相手である杉下右京を裏で出し抜くことで、心のバランスを保っていたのではと推理します。

甲斐享の「初犯」は杉下右京と知り合う前ですが、2回目以降、犯行を再開した時期は、特命係に入った後になります。

犯行の再開時期と、甲斐享のコンプレックスだらけのこれまでの言動を考えれば、こちらも納得のいく理由です。

ただしそうすると、甲斐峯秋の教育にも問題があります。「東大をでなければ人間ではない」と言い、優秀な兄ばかり気にかけていた(少なくとも甲斐享はそう思っていた)ことが、少なからず甲斐享を歪めているからです。

世間の反応が嬉しかった

個人的な正義感でやったことがネットの世界でヒーローとして話題となり、それが快感でやめられなくなったゼロではないようです。大河内監察官からそう尋ねられた時、甲斐享はこれを否定しませんでした。

笛吹悦子の病室で3人で掲示板を見た時、杉下右京は「おおむね7割がダークナイトに賛同している」と話しています。

もちろん、これが完全な理由ではないものの、ここまでエスカレートしたのには、少なからず世間の好意的な反応も影響したと考えられます。

甲斐享の動機のまとめ

甲斐享の犯行には、はっきり「コレだ」という1つの理由があったわけではありません。

法で裁けない相手を、暴力で制裁した成功体験があったこと

・杉下右京(しかも東大卒)との力の差に打ちのめされたこと

・再開したら世間から称賛を浴び、嬉しい気持ちがあったこと

こうした要素が少しずつ作用して、今回の結末に至ったのだと考えられます。